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網長小学校のあゆみ


最初の校舎建築の時には、車や機械等が無い時代でしたので、全ての作業が人力の手作業で行なわれました。船で運ばれて来た建設資材を浜から約2kmも離れた建設現場に運ぶのも、全て人力で行なわれたとの事。
初代校舎は木造平屋でスレート葺き屋根の建物です。後に鉄筋コンクリート二階建ての校舎に建て替えられ、給食センターや体育館も建設されました。

昭和34年には571名もの卒業生があったほどでしたが、その後は年を追う毎に減少を続け、平成9年には休校となり、平成12年には惜しまれながら閉校に至り、53年間の歴史に幕が閉じましたが、親子代々通った網長小学校の学び舎からは閉校するまでの53年間で2、361名の卒業生が送り出されました

その後閉校となった学校施設は病院施設として生まれ変わり再スタート。同じ学び舎から巣だった卒業生も島に残っている人は歳を経て又学校に通っている事にもなります。

材料運びをした年代の人達が入院し、生徒として通っていた島民が今度は患者として学校に通っている訳で、
病室や待合室から見える風景からは、昔の様々な記憶が蘇えってくるのでしょう。

旧木造校舎

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平成8年卒業生 昭和56年入学生 昭和34年卒業生 昭和16年入学生








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昭和38年頃のスナップ




















































鼓笛隊 昭和62年
水泳大会 昭和61年
給食の風景 昭和62年
バスケットボール優勝 昭和62年

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