山 ほととぎす ただ鰹


0708c.jpg 夏の朝、早くから組合の放送が鳴る。

♪〜『カツオを差し上げますので、桟橋までお出でください』
急いで浜に下がると未だ荷下ろしの途中でした。

防波堤の沖に停泊している母船から、小さい船に積み替えた鰹は、桟橋近くのグレーンで吊り上げられコンクリートの広場に陸揚げされます。
0708b.jpg 080806a.jpg
『一人3本だからね〜!!』『OOさんの分も持っていぐがら〜』
『どれいいがな〜』『口開げでんの美味いんだぞ〜』
などと経験と感を駆使し美味しそうなのを選びます。
080806b.jpg 0708a.jpg
皆思い思い選んで、持ち帰える。 津波のように押し寄せた島民がまた一気に帰るので珍しく渋滞がおきます。
 ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇

島ではただの魚が時々振舞われますが、でもこの鰹は他の魚とはちょっと違います。
以前にもブログにも何回か書いていますが、移住して来た人も多くなってきて、タダの鰹の由来を知らない人も増え出しましたので、風化させないように簡単に書き残す事にしました。

その昔、長渡の根組の集落で火事が起きた。近所の人達が消してくれたので、幸いにも火事はボヤで終わった。
当時の稼ぎ頭は殆どの場合遠洋の漁業に携わっていたので、家を留守にする事が多く家は子供や高齢者が留守を守っているのが多かった。そんな状況なので常日頃の事はいとこ親戚や隣近所に頼わざるを得ないのだが、そんな中の小火。家族も家も守ってくれた地域住民に余程感謝したのだろう。
 そこでこの小火以後感謝の意味をこめて、鰹船に乗っているこの家の家族が、毎年全島民に行き渡るよう、漁場から島まで鰹を運んで配っている。と言う経緯の鰹なのです。
 件の根組の家も今では空き家になっていますが、それでも毎年その鰹は運ばれてきます。
一人3本。住人が少ないとはいえ、網地と長渡の全戸数宛ですから、結構な本数です。
 
 『ただ鰹 知らずに食えば ただの刺身』

北勝丸の漁労の様子は↓http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~KITAMAKI/contents/hokushoumaru/hoku3/hoku3.htm

    

inserted by FC2 system