資料No.8940

























 




 








 





 











海坊主

力自慢の大男が夏の夕べ砂浜を歩いていると、夕闇の中から突然袖を掴んで引っ張る者がある。なにくそっと相手の首を握ろうとしたがぬるぬるして掴めない。海坊主だ。ずるずるとひきずられる。とっさのことに砂に引き上げて有った船に掴まったら船もろとも海に引き込まれそうになった。
 丁度その時砂浜の上の方を通った部落の人二、三人がこれを見て流人の島抜けと思い、『誰だ、今ごろ船を下ろすのは』と怒鳴った。これで海坊主は袖を千切ってたおれたのでその隙に阿部さんは一目散に逃げた。家の近くまで来てホッとして振り返って見た時は海坊主の姿はもう見えなかった。




大入道

網地浜部落では漁が有った時は初物を館ヶ崎の神社に奉納する慣わしがあった。明治の中頃この部落に四郎右衛門という鰹節の船頭おりとても吝嗇で獲って来た鰹を神前に供えようとせず申し訳のように神社の海に投げて、後からそれを取り上げて帰るという風であった。
 或る夜遅く眠って居るところを雨戸の外から呼び起こす者があるので出てみると、入り口に大入道が立っていていきなり主人の手を取って外に引き出そうとした。出まいと柱につかまると敷居ごとミリミリ壊れかけた。大入道は『行かぬなら、馬を連れて行くぞ』と言って厩屋の方へいったが馬も入道もそれっきり姿を消してしまった。
 今でも立ヶ崎の岬の突端には馬を供養する石碑がある。



金華山祭りの前夜
5月初巳の大祭の前夜、長渡大金神社の姉神は白い大蛇となり潮を噴きながら真夜中に妹神の金華山に手伝いに泳いで行くと言う。これを実際見たと言う人もあり、また見た人は必ず変死するとも言われ、大祭の前夜は今でもこの伝説を信じて大金神社の下の浜を通らない人も居る。また大金神社の周辺では白い蛇を目撃した話が今でも時々ある。 



山猫の話その壱
むかしむかし罪人が島流しになった頃の網地島の話しです。この島には山猫が住んでいるのでこの山猫をおどかしては祟りがあると言うので犬が一匹もおりませんでした。ある時よそから立派な紳士が犬を連れて鴨撃ちに来たことがありました。そして犬を連れてきたことが島のひとびとに知れると大騒ぎになりました。
『山猫が怒るべ、怒るべ』
と、言ってその紳士を追い出したと言う事です。

 長渡の阿部の家で嫁ごをもらう事に成りましたが、その嫁ごが突然何処かに行ったか見えなくなったので大騒ぎになりました。翌朝そこからほど遠くない山の中に真っ青な顔をして坐っているのが発見されました。
『どうしたんだべ、こんなところさきて、さ、早くもどるべ』
と、探しに来た人が言っても首を横に振るばかりなのでむりむり家に連れて来たのですが、隙を見てまた山の中に逃げて行ったのです。
 婿は『もどるべ、もどるべ』と言っても『おらには他に婿がいるのだから』と聞き入れない。家の人達は行者を連れて来て祈祷をしたり医者様に診てもらってもどうしてもその原因がわからないと首をかしげるばかりだった。『これでは婿さまあきらめてもらえすべ』と嫁ごの里のひとは山の中に小屋を立てて住まわせることにしたのです。そして毎日その小屋に里のひとは三度の食事を運んだのです。
 するとその晩から小屋の辺りで美しい声で歌を唄っている声が聞こえて来るのでした。ある晩のこと里のひとびとは小屋を尋ねて『おめえの婿さまはどんな男だべ』と聞くと『この島では比べものねえほど綺麗な男で、美しい声で、おらさ歌うたってくれるのでがす』と、うっとりした顔で言ったのです。里の人々はきっと山猫なんだべなと思っていたが口に出すことはなかった。
 小屋には毎日食事が届けられましたがそれから3ヶ月ほどして嫁ごは見る影もなく痩せおとって亡くなったのでした。




山猫の話その弐
網地島と1里と離れてない田代島があり、そこに1人の男がやってきて『急いで網地島さ行かねばなんねいが、すぐ舟っこだしてきろ』と、漁師に言いました。もう夕暮れ時で海が荒れているので『少しぐらいの船賃ではいやでがす』と、返事をしぶると、『んだら、ひとりさ五円やるべ』と、言うのでほかの漁師とふたりで舟を出したのでした。
 舟は無事に網地島につくことができ、男は『ご苦労さまでした』と、約束のとおりに二枚の五円札を渡してすたすたと言ってしまったのでした。『どこの人だべな』と、ふたりの漁師はちょっとふしぎに思ったのですが5円札をもらったのでいい気持ちで旅篭にやってきました。『たいしたもうけだなや』『んだども、おらには三ヶ月もかかる大金だ』とふたりは大喜びで『旅篭のががさん、酒っこ買ってきてくらや』と五円札を出すと、いつのまにかそれが木の葉になっていたのです。ほかの漁師もふところから出してみるとこれも木の葉に変わっているのでした。ふたりは『なんでたまげた、たまげた』と、言うと旅篭のかみさんは笑ってこう言ったのです。
 『また山猫にやられたのだべす』



山猫の話その参
ある夏の事、大網で鮪の漁をやると大変な大漁で大喜びでした。石巻、塩釜に送ったのですが約二十貫からある四匹の大鮪だけは船に積む事ができなくてひとまず浜小屋に残して置く事になったのでした。ところがその晩一匹の大鮪がなくなってしまったのです。
 『きっと山猫だべ、この鉄瓶のふたみてえな足跡がみろ』と、言いました。そこでいつも山猫にばかにされている若い者ふたりが、つぎの晩浜小屋で待ち伏せしました。『山猫めこんどは打ち殺してみせるべ、さ、元気つけるため酒っこばのめや』と、酒を飲み始めましたが夜がふけてくると若者は眠くなって来ました。
 漁師は眠ってたまるかと目をひらいていると大きな山猫が目を光らせて坐っていました。男は用意していた船の櫓で『くたばれ』と、打ちつけましたが山猫は素早く逃げてしまい、はずみで自分の左の腕を折ってしまったということです。その傷は今でも浜小屋にのこってるんだど。

以上は〔牡鹿町史下巻〕に掲載された〔宮城県史21民族V昔話〕からの抜粋でしたが今でも猫は人を化かすと信じている人もいるようです

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