資料No.38













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カマイシの浜
座礁した船と船会社の会話を再現した記録
『座礁したので救助願います』
『場所は何処ですか?』
『え〜カマイシの浜です』
『カマイシですね。了解!直ぐ救助に向かいます』

<しばらく時間が経過して>

『だいぶ時間が経ちますが、救助は未だですか?』
『現在大急ぎで向かっています。で、カマイシのどの辺ですか?』
『だからカマイシの浜です』
『だから、カマイシの何処ですか?』
『だから灯台の近くのカマイシの浜だってば!』
実は救助の連絡をした方は、網地島の浜の名前で言ったのでしたが、連絡を受けた方は岩手県の釜石に救助に向かったと言う話でしたが、どこまで本当の話やら?結局救助の船は無事網地島のカマイシに辿り着き、満ち潮に合わせ船を引っ張り救助したそうです。




桟橋は手作り

お母さん方がもんぺを履いていたか着物の頃の昔の話、今のような桟橋はなく、沖の船には艀(はしけ船)で乗り込んでいた。小砂利の浜に舳先を挿した艀に飛び乗り櫓で漕ぐ船で沖の船まで行き、沖の船に着いたらよじ登る。帰りは高い船から艀にピョンと飛び乗り、浜に着いたら濡れない様に又飛び降りる。波が穏やかな時でさえ船に飛び降りるのは怖かったらしいから、波があったらさぞ大変だったのでしょう。
 その後桟橋を造る事になったものの自動車がない時代、増してや建設機械などもなく島民総出の人力で浜の石を運び型に入れて造ったとの事。現在の桟橋は広くて長いですが私が子供の頃はもっと短い物でした。更にその前は人がすれ違うのがやっとだったと聞きましたがそれでも艀の時代からは飛躍的な進歩だったんでしょう。桟橋に降りる時、昔の情景を創造してみては如何でしょうか?





***漂流事件
浜辺には色んな物が流れ着く。どこそれには漂流物研究家とやらが居るくらいであるから、たしかに、色んな物が流れ着いた。田舎ではでは見た事のない食品の袋、飲み物の空き缶、玩具や訳の解からん物、ハングル文字やロシア語の文字が書いてある家庭用品や漁具。時にイルカや鯨、タンカー、漁船まで流れ着いた。浜は未知の文化の発見と驚きの宝庫であった。
 『何だべまず!』波打ち際が黄色い。あっちの浜もこっちの浜も黄色い。ついでに揺れる波間に黄色い物が見え隠れする。目を水平線の遠くのほうにやると、海に黄色い筋が竜の様に漂っている。口を空けたまま、まばたきと呼吸まで忘れ呆然とする。そして浜に向かって走る!足元の草につまづいて転んだり、枝に引っ掻かれ、転びながら先を急ぐ。『お!***だ!』正体は***だった。(想像するにこんな感じだったのでは?)
何で***がこれほど大量に流れ着いたのだろうか?この驚きは島中の浜と、島民とで繰り返された。勿論南の島から流れ着いたのではなく貨物船で運んできた***が、貨物船入港の予定が遅れ港に着く前に熟してしまい、商品にならないので金華山沖で違法投棄されたのだった。仏壇に挙げた者、食っちまった者、肥料にした者様々。騒ぎを聞きつけてお役所が”決して食べない様に!土に埋めて処分する様に”とおふれを出した時は既に後の祭で検疫の済んでない***の殆どは、それなりに本来の使命を全うしてしまった!らしいと伝え聞いた。さぞかし丁度食べ頃に熟した***は美味かったと想像する。事実に基づいたバナナ事件の壱節でした。




 
初めての交通事故
 
島に車がやって来た。酒屋さんが買った島初めての車である。信号も交差点らしき所もない一本道を車は快適に走った。徒歩以外に移動手段がない島では革新的な出来事だった。その後反対側の集落の酒屋さんにも車が入る。2台の車・一本道・標識もない、そして事故は起こるべきにして正面衝突という形で発生した。幸運にも大した怪我は無かったような記憶が有るが、この事故の情報は一時の間に集落に伝わり、一目見ようと事故現場に申し合わせた様に集まり出した。私も見に行ったがこれが島初めての交通事故と事故見物だった。娯楽が少ないためだったのか、それとも事故当事者を心配したのか、どっちだったんだろうか?




ヘリ不時着?
ヘリコプターが島の周りを舞っていた。珍しかったので皆手を振ったりしていたが、その後中学校の校庭に着陸したとか不時着したとかの情報が入る。この情報も一瞬の間に広がり学校から帰った生徒は再び学校へ向かい農作業中の人は仕事を止め、漁師は港へ帰り、例の如くぞろぞろと学校に向かい始めた、交通事故なんて比べにならないほど凄い人出になった。
 私がその現場に着いたら全島民が集まった様な騒ぎで、校庭の真中に大きなヘリコプターが有り、それを丸く島民が取り巻いていた。瞬く間に集まってしまった人達を見て、緊急着陸したヘリの乗員はたぶん『??????』。少なからず戸惑った事は間違い無いが、それにしても物見高いのか、心配性なのか団体意識が強くボランティアで救援に駆けつけたのか事実は定かでないが、私は後者だと信じたい。




傍若無人極悪非道
長いピカピカの鎌を携えて、長靴を履いた知らないおじさん達がやって来た。きょろきょろと辺りを見渡しながら眼光鋭く獲物を探す。おじさんは行動を開始した!やおら他人の畑に押し入り鎌を振り回し始めたのである。これでもかと言わんばかりに1本残らず花を切り崩した。おじさんは勝ち誇った様に畑を見渡し、更に次の獲物を探して去って行った。
 『おお!これは何だ!何が起こったんだ!』そしてこの傍若無人な行動は至るところで行なわれていた。後で知ったのだが、虫や鳥が行き交わない離島の条件を生かし、菜種油だったか白菜だったかの種を作る為、交配しない様既に咲いていた菜の花を切っていたのだった。そして切り倒した、否刈った菜の花の代金は畑の持ち主に支払われていたのだったが、子供心に彼らの行動が極悪非道に見えたのだった。




汽笛
十数年前友人何人かと、網地島に来た事があった。季節は春、単に美味いものを食うだけの目的だけだった。夕食まで時間があるので一緒の女性三人と散歩に出た。遠くの防波堤に人が集まっていたので行ってみた。
 集まっている人に聞いてみると、家族が石巻から遠洋漁業に今日出航するので沖を通過する船を見送りに来たそうで、何時来るかと待ちわびていたという次第だった。そして間もなく船は遠くに見え出した。背中を丸めてしゃがんでいたばあちゃんはおもむろに立ちあがり、何処にそんな筋力が有ったのかと思うばかりに大きな旗を振始め、赤ん坊を抱えた母親は子供と一緒に手を振だした。無事航海を終えて帰る様祈りながら、其々の家族は名前を叫びながら手を振る。すると、遠くに見えた船は徐々に島に近い方向に進路を変えそして何回も何回も汽笛を鳴らした。こちらが見えるのか船のほうでも旗を一生懸命振っていた。 
すると突然それを見ていた夕食待ちの女性達が見送る人達の傍らに寄り、その人達と並んで自分達も一緒に見も知らぬ船の人達に向かって泣きじゃくりながら『元気で帰って来いよ〜!』と叫び出した。 『板子1枚、下は地獄』の言葉の様に家族は必ず帰って来る何の保証も無いのを承知で送り出し、本人もそれを覚悟で家族のため北海の海や地球の裏側まで出て行く。大昔島の人口が半分になるほどの海難事故が有ったのを始め多くの人命が事故で失われている。船が視界から消えても一緒の女性陣は泣いていたが、当の見送り組みは打って変わって笑みさえ浮かべて帰路に。そうでもしないと船乗りの妻、家族はやって行けないのだろう。
 あの時の光景と汽笛の音は、私の脳裏に焼け付いている。そして今でもあの防波堤で、あの時の様な光景が繰り返されているのかも知れない。
                 

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