網地金山跡

 網地金山は網地地区の浪入田の集落周辺にあり、採掘は粟ヶ崎と琵琶首崎の間の谷地で行われた。採掘そのものはかなり前の時代から行われたいたらしいが大規模に行われたのは慶長年間(1596〜1615)の仙台藩の藩祖伊達政宗が行ったもので、その後は継続に行われ、昭和初期には三菱系の網地島鉱山株式会社も採掘していた。この時7万トンの鉱石が採掘されたが金の品質は10万分の一(1tの鉱石から10gの金)程度とされ、現在の金額にすると約10億円近くの金が掘り起こされた事になる。

 牡鹿町誌によると更にその後にも網地浜の婦人達が小遣い稼ぎに坑内に入って砂金を拾ったとも言わ、現在でも浪入田浜の砂からは少量の砂金も取れるが、昔のように小遣いに発展するかどうかは定かではない。
 それよりも海岸や山中には坑道跡の洞穴が点在し、万一落下した場合にが命も危ぶまれる危険な場所も多いとの事なので土地勘のない人はむやみに近づかないに越した事はない模様。

 浪入田の集落から浜に通じる開けた平地は、浪入田千軒長屋の跡と言われ、当時の鉱夫が住んでいた住居が建ち並んでいた場所とされる。またこの近くには当時の井戸も残されている。
 昭和の時代にはこの井戸から汲んだ水を沸かし、湯治も行われていて近年に温泉施設の構想も出たが成分分析の結果から、中止に至った。

       

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