網地島の歴史


西暦
縄文時代 網地遺跡
753 天平勝宝 牡鹿郡の初見
平安初期 製塩遺跡
1046 永承年間 安倍一族来島開闢
1053 天喜年間    々
1058 康平年間    々
1062 康平5年 安倍貞任衣川の柵にて敗死、安倍氏滅ぶ
1147 天養4年 長渡浜鼇甲庵の前身松柳院中奥寺創建
1415 応永22年 応永の板碑 根組浜
1492 明応1年 蓬菜山鼇甲庵創建
1513 永正10年 正福山常春寺創建
1524 大永4年 大永の板碑 常春寺墓地内
1526    6年 大永の板碑 常春寺墓地内
1528 享禄1年 藤原貞義、経筒を埋状 長渡姥婆
1560 永禄3年 及川濃之介頼家、本島に流刑
1571 元亀2年 及川濃之介頼家赦免
1596 慶長年間 伊達政宗、浪入田金山開く
1641 寛永18年 網地浜新田検地帳、人頭54人
長渡浜新田検地帳、人頭36人
1653 承応2年 大金神社、金華山大金寺より分霊勘請
1698 元禄11年 網地浜人頭49人・人数437人
長渡浜人頭47人・人数657人
1725 享保10年 長渡浜大火、102戸を焼く
1737 元文2年 伊達5代藩主吉村ウズラ狩のため渡海、雷神社建立費寄進
1739    4年 ベーリング探検隊網地島沖に仮泊
1748 寛延1年 長渡浜岸大網取立
1774 安永3年 長渡浜人頭143人・人数766人・馬77頭・船94
1779 安永8年 網地浜岸大網建つ
1783 天明3〜6年 凶作で死亡、退転するもの多し
1825 文政8年 長渡浜久左衛門家より出火、43戸を焼失
1839 天保8年 凶作により長渡に残る戸数53、人数300人
1850 嘉永3年 網地浜人頭54人・人数244人・馬25頭・船39
1860 安政7年 網地浜杉地内に新鉱脈を見つけ自費金山開発を出願
1869 明治2年 網地浜に私塾加藤塾開設。生徒45人
1873    6年 網地小学校開校。生徒39人
1878    11年 長渡浜戸数87戸、人数420人
1882    15年 阿部三郎兵衛他1名、浪入田湾外の砂金試掘願い許可
1884    17年 小学校校舎新築。長さ16間横3間工費六百余円
1903    36年 網地浜漁業組合設置認可。長渡浜漁業組合設置認可。
1908    44年 長渡戸数150戸、人数1028人
1919 大正8年 長渡根組浜で大火。7戸23棟全焼、1戸半焼、人畜に死傷なし
1920    9年 長渡浜に消防組設置
1924    14年 網地浪入田の山火事。松林2反歩焼く
1927 昭和2年 網地島鮎川間海底ケーブル敷設により電灯灯る
1928    3年 長渡浜に公設質屋認可される
県下最初の大型鉄船網地丸(107t)就役
1929    4年 辺見安之助、大型鉄船を建造
1930    5年 網地浜、阿部倉蔵第三明神丸(鉄船48t)を建造
郵便船を建造
1931    6年 華南丸(鉄船106t)建造
1932    7年 長渡漁協、第一長渡丸(90t)建造
1933    8年 三陸地震の津波襲来
1934    9年 網地浜に消防組設置
長渡浜に郵便取扱所設置
網地浜、阿部倉蔵大型漁船(95t)を建造
1939    12年 網地島郵便局開局 長渡
1940    15年 海底ケーブルを使用し電話交換事務を開始
網地島鉱山会社、浪入田金山の再開発に着手
1945    20年 米潜水艦の魚雷を受ける、クイセの浜に命中
1946    21年 久丸、長渡鮎川間に定期就航開始
1947    22年 網長中学校開設
1951    26年 網地巡査駐在所開所 長渡地区
1953    28年 鮎川町公民館分館として長渡、網地に公民館会館
1955    30年 牡鹿丸就航
1960    35年 網地浜出張診療所開設
網地浜大火、6世帯30名被災
1962    37年 網地浜潮音堂聖観音立像、県指定文化財となる
1963    38年 長渡浜出張診療所開設
1965    40年 網地島一八成浜間に海底管敷設し簡易水道通水
1966    41年 そら豆、初めて長渡より出荷(5760Kg)
1967    42年 小中学校の学校給食始まる
ドワメキ崎に灯台できる
白菜種子、初めて長渡浜より出荷(803g)
1968    43年 山百合の球根アメリカ合衆国に輸出開始
1969    44年 網長小学校校舎新築落成
1970    45年 初めて網地浜より白菜種子を出荷(388g)
1971    46年 網長中学校体育館落成
高知の漁船角島に座礁、行方不明者3名
1972    47年 鮎川タクシー網地島営業所開業
1973    48年 (1/19)網地島開発説明懇談会、参加者53名
(2/6)網地島開発計画臨時町議会において議決
(2/15)網地島開発反対運動署名運動。島内有資格者1616名の内、約1000名が署名
(2/20)網地島の自然を守る会結成
(2/25)網地島開発に関する議決の白紙撤回を求める要望書を長に提出
(3/11)網地島の自然を守る会が中心となり開発反対者所有地売却貸付白紙撤回を要望した陳情書を町長及び議会へ提出
(3/19)網地島漁協臨時総会において開発賛否の記名投票
反対295、賛成40、白紙3、無効2、無投票2
(4/20)網地島開発は町長、漁協組合長、行政区長代表、自然を守る会会長の4者の合意を得て実施するものとする約定書を取り交わし、実質的に中止となる
1973    48年 新牡鹿丸就航(65.31t、定員95名、速力8ノット)
網長小学校体育館落成
1974    49年 網地島交通独立営業開始(営業車2台)
1975    50年 網地島の電話がダイアル通話となる
1976    51年 長渡港桟橋10メートル延長
1977    52年 専管水域200海里実施の法令交付
1978    53年 網長中学校新校舎落成
1979    54年 南三陸金華山国定公園特別地域第2種及び第3種に指定
1980    55年 網地島開発総合センター竣工 島中央部
同開発センター内に網地島診療所開所 島中央部
1982    57年 石巻航路が幸徳丸網地島ラインに一本化
新牡鹿丸就航(99t、定員190名、速力12ノット)
国際捕鯨委員会商業捕鯨全面禁止を決定
1984    59年 マーメイド号就航(116t、定員212名、車3台) 網地島ライン
1986    61年 網地島郵便局新築移転落成
1988    63年 商業捕鯨全面禁止
ブルーライナー就航(101t、定員220名、速力18ノット) 網地島ライン
網長空手スポーツ少年団、全国大会に出場しベスト8に進出
1991 平成3年 ベーリング像白浜に建立
1992    4年 網地島簡易焼却炉完成
網長空手スポーツ少年団、全国大会で小学校高学年組手団体の部で優勝
1993    5年 網長空手スポーツ少年団、全国大会で小学校低学年組手個人の部で優勝
1994    6年 網長中学校特別教室、島外からの侵入者により放火さる。同年9月修復完成
1996    8年 レーダーと赤外線暗視カメラによる密漁監視システム完成 長渡地区
1997    9年 網長小学校の休校決定
網長中学校生徒会、網地漁港防波堤に大壁画『網地島の四季』完成さす
1998    10年 可燃ごみの処理を鮎川クリーンセンターへ搬出に変更
地区救急患者搬送車配備
網長中学校生徒(5人)島民と合同で運動会を開催する
1999    11年 (3/31)網長小学校閉校
(9/-)閉校した小学校網小医院に変わる
2000    12年 網長中学校閉校(小中合同閉校式に卒業生、教員他関係者多く集う)
2002    14年 デイサービス、高齢者生活福祉センターが開所
島の楽校誕生 旧網長中学校


参考資料:牡鹿町史下巻より抜粋