島の簡単な紹介

網地島は宮城県牡鹿半島の最南端に位置し、大きさは周囲20.7km、広さ6.43平方キロ。細長い形をしており、島の殆どが南三陸国定公園特別地域(*1)に指定されています。最高地点は101M。
 島の両端に網地(あじ)と長渡(ふたわたし)の2つの集落があり、中央には病院や島の楽校、開発センター、ゴミ処理場がある。民宿やペンションの宿泊施設が6軒。商店、酒屋がある。
 海に周囲を囲まれ気候は1年を通してすごし易く年間の平均気温は12.2℃。温暖で降雨量も少なく、島の至る所に常緑樹のアオキ、トベラ、タブノキなどの常緑樹や棕櫚が自生し、南方系の雰囲気をかもし出しています。
 夏は湿度が低いうえに日中の気温も高くなりすぎ、夜は涼しく朝方は寒いくらいで寝苦しい日は殆ど無い。

 網地の白浜は海水浴場としても知名度が高く、東北有数の透明度を誇り、夏には県内外からの多くの海水浴客で賑わう。東日本大震災直後は津波による瓦礫と地盤沈下により砂浜の水没により、海水浴場は閉鎖されていましたが、周辺設備の復旧と海の家の再開により、震災前の賑わいを回復しつつあります。

 島の沖合いは黒潮と親潮が交わる日本三大漁場に入る豊かな漁場があり、大謀網(定置網)も行なわれている。何箇所もある定置網は震災により設備の殆どが甚大な被害を受けましたが、1年後には復旧し再開されました。

 渡り鳥や海鳥などの多種類の野鳥を観察できるフィールドとしても知名度は非常に高く、多くの愛鳥家も訪れている。(*2)

 地層的には白亜紀から第三期の時代の地殻変動で牡鹿半島から切り離されて、島と成った網地島は、中生代ジュラ紀中期から白亜紀前期の層が東西に堆積し、海岸線では当時を物語る褶曲を見ることが出来ます。

 またこれ等の中生代の地層からは1987年に日本最古のエビの化石(*3)が発見されたのを初めとして、アンモナイト・シダ類などの植物・軟体動物などの化石も発見されています。
 島には原始時代から人が住んでおり縄文時代の網地遺跡、奈良時代の製塩跡のナベアリ遺跡なども発見されています。

 伊達藩の時代には金が採掘されていた歴史や、旧藩時代には流刑地でもあったり、ペリーの黒船来航よりも114年前にさかのぼる1739年、日本初の日露初の交易が行なわれた舞台となった島でも有ります。

 この様に様々な国や地方からの人が生活していたり、古くから商業や交易を通じて外部との交流が多かったため、方言も国内の様々な言葉・武家言葉・外来語の帰化・等々様々な方言が入り混じった多様さを見せています。

 近海や遠洋の漁業が栄えた時代には3.000人を超える人口がありましたが、昭和30年代後半からは国際的な漁業環境の変化や高校や大学進学等の転出で人口の下降傾向が続き、平成12年には中学校で最後の卒業生を送りだし、小中学校とも閉校となりました。
 小学校校舎は平成11年に病院として生まれ変わり、中学校の校舎は平成14年から体験施設島の楽校として再利用されています。
 平成12年の国勢調査時点での世帯数は293戸・人口555名。7年後の平成19年の住民登録時では282戸・533人。震災以降は転出が増え平成23年末頃で島民の数は約300名。(住民登録の人数と実際居住している人数では開きがあります)

 1970年代頃より近県をはじめ国内の多地域から島に移り住む動きが始まり、その傾向は1990年代に大きく加速して多くの人が移住したり週末滞在型などの形態を取りながら島に住居を構えましたが、移住者の高齢化や震災以降の住環境の変化で、再度島を離れる動きも出てきていましたが、震災以降また新たな形態での若年層の移住の傾向もあります。

 また複数のNPOの組織や島おこしの活動も活発に行われています。(*4)
 
【網地島】 かな:あじしま  英:AJISHIMA

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(*1)海岸線周辺は国定公園法特別地域第2種地域に指定され、それ以外は同3種地域に指定されて開発が規制されています。2種及び3種に含まれない住宅地は国定公園法の普通地域ではなく制約がない一般地域になっています。

(*2)『鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律』により鳥獣保護区に指定されています。(〜平成23年、640ha)
(*3)『最古のエビの化石』の記録はこれ以降に更に古いのが発見され、記録は塗り替えられています。
(*4)Dream Seed Farms ・ジョイフル網地島 ・あじ朗志組  ・あじ島冒険學校  ・他





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