大津波の前に湾内の水が完全に引く    3月11日 15:13 網地浜 (白岩氏携帯で撮影)
       




重油タンクの倒壊  3月12日 長渡浜   




待合室は建物ごと流される  3月12日 長渡浜






流された待合室の基礎の上に車が乗る  3月12日 長渡浜






海人も建物ごと後ろに流される  3月12日 長渡浜




 
家ごと基礎からずれる 3月12日 長渡浜




海人の内部  3月12日 長渡浜



津波の入った家屋の内部 3月12日 長渡浜




瓦屋根の多くが被害を受けた 3月12日 長渡浜





陸地が1,2メートル地盤沈下した為水没  3月12日 長渡浜






島全体が1,2メートル沈下桟橋も含め一帯が水没しているので船が接岸できない 3月12日長渡浜






港に隣接する漁協は壁が破損 3月12日 長渡浜




津波により資材等が天井に刺さる 3月12日 長渡浜漁協内部





根組浜の定置網の番屋は跡形もなく流され完全に消失  3月12日 根組の浜







流出した番屋の一部が漂着 3月12日 根組の浜





石巻の製紙工場から流出した木材が打ち寄せられた網地港桟橋周辺  3月12日 網地港





待合室に津波で破壊された漁協の屋根が重なる  3月12日 網地港




港からの道路が津波の瓦礫で通行できない  3月12日 網地港





漁協は基礎だけを残して完全に消失  3月12日 網地港







漁船や瓦礫が打ち上げられた白浜海水浴場 





ベーリング像も被害 網地白浜海水浴場




網地港も沈下して桟橋が水没




木造家屋の殆どが瓦礫化した鮎川







鮎川も同じように地盤沈下で水没 旧観光協会前付近





鮎川に駐車していた我が家の車もこんな感じに




地震が発生した時間で止まってしまった玄関の時計 子供たちの通っていた鮎川の保育園 5月30日




津波襲来のすぐ前まで、子供たちが昼寝していた部屋  5月30日鮎川





遊具だけが保育所の面影を残す  5月30日鮎川





長渡・網地の両地区に災害対策本部が設置され班長や有志が毎朝朝礼を開き普及の会議をする





飲料水の確保と運搬





3日に1回 飲料水の配給を開始 長渡地区 3月29日撮影





灯油の配給 6日に1回 長渡地区 3月29日撮影






灯油の配給の列 長渡公民館 3月29日撮影





ふろ水や炊事の使い水を井戸からくみ上げて、希望者に無料で配る 長渡中小路 3月22日撮影





子供たちは教えられながらバケツでくみ上げる 4月2日撮影





ふろ水汲み 3月30日撮影





陸の航路が復旧しないため自衛隊のヘリで救援物資が運ばれる 網小医院校庭 3月23日白岩氏撮影




ヘリで運ばれたドラム缶入りの油を運ぶ自衛隊と島民 網小医院校庭 3月23日白岩氏撮影




海の航路が復活し、救援物資はマーメイドが運搬する事になったが、桟橋は水没しているので防波堤に接岸
網地港防波堤





防波堤の船に行くために水没した桟橋に土嚢を並べ仮設の道が作られる





所帯数分全く同じく分ける量が無いので、様々組み合わせて所帯数分の救援物資のセットを工夫する
長渡公民館 3月20日長渡公民館





作られた救援物資の袋は各所帯の人数分を班長が配達して歩く
長渡公民館 3月20日長渡公民館




たまにはこんな救援物資も届いた





電力が再開したときに漏電などで火災が起きないように、ブレーカーを落とすか切り離すかの注意書きを配る






上水道が仮復旧 5月16日撮影





食料品の入手が困難なため災害対策本部で仕入れ販売する『復興青空市』が始まる  
長渡公民館6月14日 撮影





『復興青空市』の精算待ちの列       長渡公民館6月14日 撮影





5月頃より鮎川港市場前でかさ上げ工事が始まる 6月7日撮影





網地港での桟橋のかさ上げ工事  6月17日撮影





石巻教育委員会に抗議してシーカヤック2人乗りで鮎川の学校に通う 6月20日撮影



鮎川港造船所前に上陸 6月20日撮影





水道は5月16日に仮復旧したが、海底から陸地への接続部の配管はむき出しで、再び断水の危険性も
8月31日 網地池の浜

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