『黒船が現れた〜!』

時は元文四年(1739)6月20日、ペリー総督率いる黒船来航の更に114年前の出来事。第一次北太平洋大探検でベーリング海峡を発見した(1728)ベーリングの指示の元に、ヨーロッパから日本への北方航路開拓のためマルティン・スパンベア(*)率いるロシア第2次北太平洋大探検隊の艦隊3隻が網地島波入田沖に辿り着いた。

当時キリシタン弾圧の風評は遠くヨーロッパまでも流れていた為スパンベアは上陸などの接触を躊躇っていたが、役人や網地島島民が船に乗って艦隊におもむいた事から出来事は始まった。この最初の接触地網地島では島民との間で食料、水、パン、酒などを交換した日本初の日露交易が行なわれた。

この事件は仙台藩を始め、江戸表、長崎出島にまで伝わり『天文の黒船』事件として日本中を驚かせた。船団はその後約1週間ほど測量をしながら仙台湾周辺を航行した。

そしてベーリング没後250年の1991年7月6日、彼等の偉業を称えると共にベーリング、スパンベア双方の故郷であるデンマークとの親善交流をも願い、網地白浜海水浴場の傍らに記念碑が立てらることになる。像の除幕式にはデンマーク大使館参事、県知事他の多くの方々が出席し、盛大なイベントとして行なわれた。

大まかな経緯はこの様な内容なのだが、しかし、文献によっては黒船の数や出現場所に関した記述に違いがある。船の数が2〜4隻であったり、出現場所も仙台湾、田代島沖、網地島沖だったりする。

果たしてその真実は?  

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(*)書物・文献によってはスパンベア、シパンベルグ、スパンベルグと異なった表記になっていますが、このぺーじではスパンベアの表記にしています。


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