『何を思う?』

1804年に使節としてレザノフが来日したときは、1794年に漂着した同郷の若宮丸船員も同行していたし、他の交渉の時も生存していた漂着民が送還されていた。しかしレザノフは1804年の交渉決裂の報復で翌々年に択捉(エトロフ)島の漁港を襲撃し、番屋や倉庫を焼きはらっている。もし元文の黒船事件において、網地島沖での初の遭遇が悲惨な結果になっていたらばそれ以降の歴史は全く違う結果になっていただろう。網地島波入田沖でロシアの探検隊と地元民が遭遇した出来事は、正しく開国までの歴史の始まりに参加したと同時に、開国までの歴史を左右する出来事ではなかったのか。

(牡鹿町網地白浜海水浴場)
網地白浜に無言でたたずみ遠くを見つめている彼の名は、ヴィタス・ヨナッサン・ベーリング(1681〜1741)あのベーリング海峡を発見した人物である。

『この平和な現代の視線の先には何が見えているのだろうか?』
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